2007年。47年後のニューヨークにて。 これまでのように黒字に白文字が印字された画面での場面転換ではなく、海原を背景に「2007 quarenta e sete anos depois Manuel Luciano e Silvia Jorge em Nova lorque」の文字が浮かぶ。 朝焼けのニューヨーク。サイレンが鳴っている。青空にタイムワーナーセンター、コロンブス像。鳥が一羽横切る。コロンブスの航海する様子が描かれたレリーフ。オリヴェイラ監督夫妻が演じている、結婚してから47年後のマノエルとシルヴィア。彼らはコロンバスサークルの噴水の前にいる。夫婦はうんと首を反らして見上げている。ワシの像の寄りの後、誰の目線とも分からぬニューヨークのビル群へと画面は移行する。急なあおりの画面となり、タイムワーナーセンター、トランプ・インターナショナル・ホテル・アンド・タワーとともに、コロンブス像が晴天へとのびる画面に夫婦がフレーム・インする。ほぼ目線の高さにカメラは戻り、正面から夫婦をとらえる。二人とも画面外上方を眺めている。コロンブス像において鳥(ワシ)の像と表裏一体である発見の天使像がアップで写される。夫婦はそれをじっとみつめる。 船尾で風にはためく星条旗。画面奥には自由の女神が見える。船が揺れているので、固定されながらも画面は上下に揺れている。船尾のデッキでマノエル夫妻が並んで遠方を見遣る様子を正面からとらえる。風が強く、シルヴィアが頭に着けているスカーフが風に揺れる。シルヴィアがおもむろに詩を朗読し始める。カメラは夫妻の反対側に移る。夫婦越しに、カメラは画面中央に自由の女神を据える。星条旗が掲げられた竿が、船の揺れが伝わる画面をおおよそ半分に分割する。船の揺れのため、自由の女神に竿が被ったり被らなかったりする。共に背面しか見えず微動だにしないでなされているマノエルとシルヴィアの会話が丁度終わったところで風が止み、星条旗が自由の女神に被る。 カメラは船内へ移り、ソファを正面から写す。マノエルとシルヴィアが画面右前からフレーム・インしてソファへ腰掛ける。そこへ画面奥から天使が現れ、二人が話す様子を見つめる。天使は、先ほどまで映っていた自由の女神と同じように、画面中央に位置している。長回しの会話の最中、画面は唐突に自由の女神を画面中央に引きで捉えたカットが挿入される。カメラは再び船内の同ポジションに戻り、「かたち」が重ねられる。シルヴィアの笑いにあわせて画面は切られ、バークレーのダイトン・ロック州立公園の看板が映し出される。 ダイトン・ロック美術館の前に車が停まっている。美術館内で、マノエルが展示品をシルヴィアに説明している。彼らが話題にする展示物は分かるが、ここでも建物の全体を把握することはできない。例えば、記念碑の両端にある二つの扉の片側から入りもう一方から出てくるが、開いた扉をとおして見える空間はその間に描かれた空間と明らかに一致しない。そして、この美術館から帰るとき、完全予約制である美術館であるので誰かしらはいるのかもしれないが、扉を開けたまま二人は屋外へと出ていく。47年経っていても同じように、シルヴィアはスカーフを着け、マノエルはシルヴィアのために助手席のドアを開けてやり、車に乗り込む。開け放たれた扉の向こう側で、車は走り去る。 夫婦は、トマールのキリスト教修道院にある円堂を模したと思われる塔を訪れている。カメラは正面からバストショットで二人を写す。マノエルが目にもとまらぬ速さでポケットから写真を取り出す。カメラは写真を覗き込む彼らの背面にまわる。マノエルもシルヴィアも帽子をかぶっている。画面は最初の引きの画に戻り、二人は塔と写真を見比べる。再び彼らの寄りの画面となる。この塔から海を見渡せるはずであるから行ってみようと、二人は画面右端へと歩み始めるもフレーム・アウトする前に画面は切り替わり、すでにフレーム・インしている二人が画面中央で歩みをとめる。現在はきちんと見えないが前はもっとよく見えていたはずだというマノエルが言った後、画面が切り替わり、電柱や木々によって視界が遮られてはいるものの、画面奥に海を確認することができる。しかしながら、二人を正面から捉えた前のカットと画の連続性が全くないので、180度の切り返しであるとも考えられるが、二人の視線と観客に与えられた画が一致しているかは定かではない。そして、カメラは二人を正面から再び捉えるのだが、二人はもっと間近で海を見ようと画面から姿を消す。画面右奥では星条旗が風に吹かれており、画面奥から車が何台かこちらにやってくる。 陽が陰った海岸沿いを、先ほどと同じようにしかし異なる車が、画面奥から走ってきて道ばたに停車する。車から降りたマノエルが助手席のドアを開け、シルヴィアをエスコートする。道路を渡り海岸へと歩く二人をカメラはパンして追う。音楽がなり、その他には打ち寄せる波の音がわずかに聞こえるのみで、二人が何を話しているかは分からない。ある方角を指し示しながらシルヴィアに何かを説明しているマノエルが「かたち」であらわされる。 海岸沿いから撮られた曇天の海から、同構図の快晴の海へとオーバーラップする。それは上空から撮られたものであり、空撮のため画面が揺れている。続いて上空から島の様子をうつし、カメラは滑走路へと移る。画面奥に「PORTO SANTO」の文字がみえる。飛行機が着陸して現れフォローミーカーに案内されて停まる直前までの、一度は画面外へと捌け再びフレーム・インしさえする一連の動きをカメラは収める。 空港内で、マノエル、シルヴィアとガイドの三人がカートを押して来、画面中央で立ち止まる。ガイドと話し合いの中で、フライトの疲れが示唆されるが、兎にも角にもコロンブスの家へと向かうことにする。そこには、これまでと同じように、ためらい、しりごみ、とまどいなどまったく見受けられない。 タクシーが路地の手前で停車する。タクシーから降りた三人は細い路地を通り、コロンブスの家の敷地へと入っていく。鳥の姿は見えないが、鳴き声は聞こえる。彼らが階段を上がると、画面奥にあるコロンブスの家へと続く階段に天使が立っている。彼らは天使の存在に気付かない。そこへポルト・サント美術館館長が驚くべき速さで階段を駆け上がり現れる。先ほどと同じ位置の画面だが、そこに天使はいない。天使はいかにもな動きもせずただ佇むのみである。画面が切り替わったときには、期待すべき時には、発見の天使はすでにいない。マノエルらが挨拶を済ませて、奥の階段を上り部屋へと入っていく。 家の中の荷物は研究中のため運び出されている。壁には画と写真が幾枚か展示されている。部屋の中でやや離れて位置する5人が示されたのち、展示された画や写真を順を追って見ていく。彼らが移動する際には決まって部屋の中にいる天使が映される。そのため、次の写真へと話題が移って彼らが移動したり身体の向きを変えるとき、動作はその始めと終わりが映されるのみである。動作途中では画面は天使を映し、その動作や移動は音によって処理されている。そして館長がペソアの詩を朗読したあと、天使がカメラへの視線を切って窓辺から画面右へとフレーム・アウトする。カメラは部屋の外へと移り、窓越しに部屋の中の彼らを捉える。館長の意見にマノエルは若い頃からの口癖「そのとおり!」と答える。そして夫婦共々、窓へと歩きだす。二人は窓枠に手をかけ、シルヴィアがアフォンソ・ヴィエイラの詩を朗読する。老夫婦がただ画面手前へと歩いてくるだけのこのカットがこれほどダイナミックで感動的なのは、シルヴィアが朗読する詩の内容に郷愁を感じるからではなく、フレームの中にさらに窓枠というフレームによって限定された狭い構図内での運動であることに加えて、このシーンで初めて人物の動作が一部始終捉えられているためである。 朗読途中からカメラは窓の外の風景を映し出す。棕櫚の陰から白い客船が姿を現す。朗読が終わり、一拍置いて、汽笛の音。姿を消した天使が祝福しているかのように、画面には映らない何羽もの鳥の声が響いている。客船がフレーム・アウトする。続いて、砂浜から海原を捉えたカットとなる。青い青い空と海。波が静かに押し寄せている。水平線に白い客船が見える。もはやどこの海岸なのか、先ほど見た客船と同じ場所なのかわからない。エンドクレジットが終わり、再びシルヴィアの朗読がなされる。朗読が終わり、客船がフレーム・アウトする。波と風の音が徐々に遠のいていき、映画は終わる。