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映画☆おにいさんのシネマ・カフェ vol.6「駆ける」

 本日はお集まりいただき、ありがとうございます。今回のテーマは「駆ける」です。「走る」ってことですね。人間の基本動作の一つではあるけれども、ふつう人が走ることはあまりないですね。なぜならば、その前段階の「歩く」よりも疲れるからです。多くのエネルギーを消耗します。だから、人はなにかしらの理由がないと走らない。走るからには理由がありエモーションがあるはずで、そのエモーションが人を走らせます。

 映画でも人はよく走ります。あっちこっちへ走ります。なぜ走るのか。何に駆られて走るのか。その走りをどう撮れば伝わると判断して映画作家たちは撮影したのか。それを考えて正解があるわけではないけれど、意義深い細部であるかもしれません。まず、「駆ける」で思いつく映画でも、「駆ける」という言葉へのイメージでもいいですが、自己紹介を交えつつ参加者の方々に話していただければと思います。

参加者:自己紹介+「駆ける」について

ありがとうございます。それでは映画を観ていきましょう。

●『東への道』(D・W・グリフィス,1920)

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 D・W・グリフィスは「映画の父」といわれている監督ですね。クローズアップやクロスカッティング(並行モンタージュとも呼ばれています)等映画文法を発明したとされていますが(ちなみに小津安二郎監督はそもそも「映画に文法はない」と言っていますが)、グリフィスが得意としたとされる手法の一つに「最後の瞬間の救出」、「ラスト・ミニッツ・レスキュー」があります。主人公が最後の最後、間に合うか間に合わないかという演出で、観ている側はハラハラドキドキしてしまうんですね。では、『東への道』におけるラスト・ミニッツ・レスキューを観ましょう。

 いやー、凄まじいですね。俳優の大変さがわかります。極寒の中での撮影だったでしょうから、休憩も必要だったでしょう。また、氷がぶつかり合いながら、かなりの速さで流れているので演技をしている最中にもリリアン・ギッシュが横たわっている氷が割れたり、氷が急流に揉まれ命に関わるような状況になり、慌てて撮影を中断し別の氷に飛び移らねばならないというような緊迫した状況もあったと思われます。それに危機的な状況から命からがら逃げ出せたとしても、それで撮影が終わるわけではありませんから、撮影に適した別の氷を待ち撮影を続行するといった調子でもあったでしょう。1日では撮影が終わらず、複数日に渡った撮影であったのかもしれません、だから、お気づきの方も多いと思われますが、カットごとに異なる氷を使っているんですね。
 初期の映画の役者さんの役者魂には心が打たれます。女優の鏡ですね。近頃の女優さんにはこの演技はムリなのではないでしょうか。事務所から「ケガでもしたら次の仕事に差し支えがあるんで!」等言われているかどうかは知りませんが、このような根性をお持ちの女優はあまり思い浮かびませんね。リリアン・ギッシュは、この撮影によって凍傷になりかけたらしいですが、非常に高い評価を得ました。
 ただ今ご覧になったシーンでは、リリアン・ギッシュがあと少しで危ない、流されてしまいそうな危機的状況です。リリアン・ギッシュを助けるために主人公は走ります。ある場所でヒロインが危機的な状況になっており、早く行かなければ死んでしまう。目的地がありそこへ向かうために危険な場所へ「駆ける」。タイムリミットがあって、それに間に合うように駆ける「追いかけ」ですね。小津監督は映画の一番初めを「善玉と悪玉の追っかけ」と言っています。「追いかけ」は映画の基本なんですね。現在でも『ミッション:インポッシブル』の「追いかけ」シーンは定番ですし、カーチェイスは映画を盛り上げるために頻繁に使われていますね。

 

●『キートンのセブンチャンス』(バスター・キートン,1925)

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 「追っかけ」にもいろいろな種類があります。喜劇の「追っかけ」を観ましょう。バスター・キートン主演・監督『キートンのセブンチャンス』です。キートンはチャーリー・チャップリンハロルド・ロイドと並びアメリカの三大喜劇王の一人です。それぞれの特徴として、チャップリンは小さいジャケットに帽子にちょびヒゲ、だぼだぼのズボンと靴、ロイドはカンカン帽に丸ぶち眼鏡、キートンは鉄面皮といったトレードマークのようなものがあります。
 抜粋するところまでのストーリーですが、祖父の遺言によってキートンの27回目の誕生日の7時までに結婚すれば何百万ドルという遺産が入ることがわかります。それで最初は恋人にプロポーズするんですが、「今日中に結婚しなければいけない」と言い張るので、逆に何か隠し事があるのではないかと勘ぐられ断られてしまいます。とりあえず遺産は相続しなければならないと手当り次第女性に声をかけるのですが、断られてしまいます。そこで勝手に友達が新聞に“キートンと結婚すれば莫大な遺産が入る”と広告を出してしまうんですね。それを知って女性たちが次から次に集まってきてキートンに言い寄ります。欲に目が眩んだ、金目当ての女性がとても怖いです。では、映画を観ましょう。


(参加者からキートンへ拍手)

 これまたすごいですね。決して笑わないキートンがたくさんの女性に追いかけられるのが可笑しいですが、どんどん増殖してくる「女性」が怖いですね。「女性」が抽象的なものとなっていますから、いろんな場所からうじゃうじゃと出てきます。いろんなバリエーションが面白いですね。女性たちがアメフト選手をなぎ倒したり、なぜか電車や重機を操縦できたりと、やりたい放題で笑ってしまいますね。女性たちの迫力に取締りのお巡りさんも逃げ惑っていましたね。逆に、キートンが大勢のお巡りさんに追いかけられてしまう『キートンの警官騒動』という映画もあります。オチが切ない、でも面白い映画です。

 CMやPV等で、一人の人が大勢の人から追いかけられる演出をたまに見ますが、この『キートンのセブンチャンス』が元ネタなのではないでしょうか。この映画の「駆ける」は、ある対象から逃れる「駆ける」ですね。さらに誕生日の7時までとタイムリミットが決められていますから、それがサスペンスとなっています。同様の効果で作られた作品は、最近でいうと、海外ドラマの『24』がありますね。あの作品も時間が決められており、時間内に事件を解決しなければならないという制約がサスペンスを生み出しています。

 サスペンスを盛り上げる機能を持つ「追いかけ」には、加えて、時間調節の役割もあります。ジョン・フォードの『捜索者』では、馬に乗ったジョン・ウェインが走って逃げるナタリー・ウッドを追いかけるシーンがありますが、なかなか追いつかないんですね。競馬をする人ならばわかるかと思いますが、馬は1kmを大体1分で走ることができます。馬と人が「追いかけ」をすれば、すぐ追いつくのは目に見えています。しかし、ジョン・ウェインナタリー・ウッドに追いつくのに、かなり時間がかかっています。つまり、「追いかけ」は「現実」ではありえないことを時間調節し、「自然」に見せる手法でもあるんですね。「不自然」なことがわたしたちの目の前で起こっているにもかかわらず、「自然」に見えてしまう。不思議ですね。

 バスター・キートンらの他に、ハリウッドには喜劇の帝王としてマック・セネットという映画監督・プロデューサーがいます。ジャン・ルノワールサルヴァドール・ダリマルセル・デュシャンアンドレ・ブルトン谷崎潤一郎ら同時代人からの尊敬を集めているだけでなく、フランソワ・トリュフォージャン=リュック・ゴダールフェデリコ・フェリーニジャッキー・チェンといった次世代の映画人からも慕われていたそうです。
 1958年に『ぼくの伯父さん』でアカデミー外国語映画賞を授与されたジャック・タチが、式典に参加するためアメリカに滞在していた際、当時人気絶頂で面白い映画をたくさん撮っていたジェリー・ルイスとお会いになりませんか? と誘われたそうです。しかし、タチはジェリー・ルイスではなくマック・セネットに会いたがったそうです。マック・セネットはそれを喜び、キートンハロルド・ロイド、スタン・ローレルを呼び集めてタチを歓迎したという素敵なエピソードがあります。コメディアンたちはセンスがいいですね。アメリカでは今でもベン・スティラーアダム・サンドラー等が面白いコメディ映画を監督したり、製作していますね。日本でも例えば北野武ダウンタウン松本人志ウッチャンナンチャン内村光良品川庄司品川祐といった芸人さん達が映画を撮っていますね。ちなみに、アダム・サンドラーの学生の頃からの友人でフランク・コラチという監督がいまして、『Mr.ズーキーパーの婚活動物園』や『闘魂先生 Mr.ネバーギブアップ』といったコメディ映画を撮っています。

 それでは、マック・セネットの映画、アカデミー賞を受賞したときのジャック・タチのスピーチ(チャーリー・チャップリンと並んでマック・セネットの名前が出てきます)、セネットとは関係ありませんが、ジャック・タチがイギリスのTV番組に出演した際に披露した「イギリスの警官とフランスの警官の違い」という動画が面白いので紹介します。

 

●『大人は判ってくれない』(フランソワ・トリュフォー,1959)

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 間に合うか間に合わないかも、タイムリミットも決められていない、ただ走る、「駆ける」映画を観ましょう。『大人は判ってくれない』です。監督のフランソワ・トリュフォーヌーヴェル・ヴァーグの中心的な人物として有名です。ヌーヴェル・ヴァーグ映画批評家から映画監督になった人たちです。ビック5と呼ばれている人たちには、トリュフォーの他、ジャン=リュック・ゴダールエリック・ロメールクロード・シャブロルジャック・リヴェットがいますね。『大人は判ってくれない』はトリュフォーの初長編です。少年が主人公なのですが、お母さんは浮気している、学校では先生に虐められサボるようになる、親からネグレクトされると散々です。終いに少年院に入れられてしまいます。そして、最後のシーンで、少年は少年院から脱走します。そのシーンを観ましょう。

 主人公の少年「ドワネル」役のジャン=ピエール・レオーは、前回の「登山の映画史」で紹介したリュック・ムレの『ビリー・ザ・キッドの冒険』に出演していました。私は行けなかったのですが、レオーは先日、「没後30年フランソワ・トリュフォー映画祭」が開催されたとき舞台挨拶のため初来日しました。

 「駆ける」映画を考えたとき、駆ける姿が美しいので、真っ先にこの映画が浮かびました。これは前二本との「駆ける」とは異なった印象を受けます。レオーがフレームアウトして、海の方へパンしてまたフレームインするのも印象的です。長い「時間」走っているように感じます。この少年がどこに向かって走っているのか、目的地はわかりません。いちおう「少年院」から逃げるというのは言えるのかもしれませんが、さらに波打ち際の足跡が残らない場所まで走ったので逃げ切ったのだと言えるのかもしれませんが、そういう具体的な人や対象から逃げるということよりも、なにか観念的なものに触れてるような感じがします。どこまで行けば逃げ切れるのか、逃げ切ったことになるのかわからない不安さ、不安定さが描かれています。似たようなものとして、例えば、日本の青春映画によく用いられる、夕日に向かって走ることで青春の焦燥感を表しているというイメージもありますね。
   最後にレオーがカメラ目線になりますね。このカットはこの映像が撮影されたものだと観客に知らせる役割も持っていますね。レオー本人と向き合っているのかそれとも役柄である「ドワネル」と向き合っているのか、少し混乱してしまいますね。生々しくもありどこか理知的でありますね。こういった部分に、批評から創作活動へと移行していった若きトリュフォーの姿を見てとることができるのかもしれませんね。

 

●『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(スティーヴン・スピルバーグ,2002)

 ヌーヴェル・ヴァーグはアメリカ映画から大きな影響を受けていますが、逆にヌーヴェル・ヴァーグに影響を受けたアメリカ映画を観てみましょう。ヌーヴェル・ヴァーグに影響を受けたアメリカ映画監督はたくさんいます。スティーヴン・スピルバーグもその一人です。スピルバーグの監督作『未知との遭遇』にトリュフォーが俳優として出演していますね。そして、スピルバーグの世代は現場の叩き上げというよりも、大学の映画学科で学んで監督になった初めての世代でもありますね。

 スピルバーグの映画には「駆ける」が印象的なものが多いですが、今回は『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』から「駆ける」を観てみましょう。原作がフランク・W・アバグネイルJr.の自伝小説「世界をだました男」(1980年)で、「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」はオニごっこの「オニさん、こちら」くらいの意味のようです。デカプリオ演じる主人公は天才詐欺師です。パイロット、医師、弁護士(弁護士資格は実際に取りました)に成り済まします。1960年代には小切手詐欺を世界中でします。しかし、トム・ハンクス演じるFBI捜査官に捕まってしまいアメリカへ輸送されます。空港に着陸する間際父が亡くなったことをトム・ハンクスから告げられ、デカプリオは悲しみのあまりトイレに籠ってしまいます。着陸するから出てこいとトム・ハンクスが言ってもデカプリオはウンともスンともいわないんですね。不審に思った捜査官達がトイレのドアを体当たりで開けようとします。そのシーンから観ましょう。(シネマ・カフェでは下の映像の少し前から上映)


 この「駆ける」もこれまでの「駆ける」とは違った「駆ける」です。空港から母親の家まで走ったのでしょうか。抜粋して観てみると笑ってしまいますが、映画を一本通して観ると意外と気にならずに、スっと観れてしまうと思います。
 このシーンだけでもおかしなディテールを指摘しようとすれば、揚げ足を取ろうとすればいくらでもできると思います。「爪であのネジは外せないっしょ?」とか、詳しく知りませんが「飛行機の構造上、トイレから脱走するのなんてムリ!」とか疑問点はいくらでも挙げられます。でもそういったことはすべて無視していますね。スピルバーグの映画は「普通」とはすこし違います。スピルバーグの映画は一般的に娯楽作として受け入れられ世界中で観られているにもかかわらず、このように抜粋で一部分観ただけでも「おかしい」「普通でない」とわかりますね。

 例えばスピルバーグが監督した『宇宙戦争』のクライマックスでは、地球人がトライポッドを倒したわけではなく、H・G・ウェルズの原作や1953年にバイロンハスキンが監督した『宇宙戦争』もそうであったように、トライポッドが勝手に自滅します。主人公のトム・クルーズが倒したわけではありません。しかもトム・クルーズはこの映画において、専門知識を持った学者でも捜査官でなく、ただの一般人です。離婚した二児の父親というブルーカラーに過ぎません。そのトム・クルーズが奔走する舞台はニューヨークといった大都市でなく現代のニュージャージー州の小都市なのですから、超人が出てきて活躍する「ヒーローもの」のイメージとはかなり異なっていることが、設定だけ見てもなんとなくわかりますね。このような設定でスピルバーグはどのようにスペクタルを描いたのか。また、どうやって観客の期待を越えようとしたのか。とても面白い映画ですので是非ご覧になってください。
 話を『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』に戻します。この映画は「駆ける」ことによって時間と場所をすっ飛ばして人を移動させています。現実にあり得ないことを映画でしていますね。こういうことをしている映画監督は、馬鹿の一つ覚えのように名前を連呼しているように思われるかもしれませんが、ジョン・フォード監督がいます。フォードは古典的で王道な映画監督と思われていますが、映画の中で時間や空間を違和感を感じさせずに変えています。『ドノバン珊瑚礁』では家を動かしています。「不動産」を動かしています。『リバティ・バランスを射った男』では、建物の構造や建物の配置をシーンによって変化させています。さらに『わが谷は緑なりき』では、アメリカへ行く兄弟とオーストラリアへ行く兄弟を別々の方向へ歩かせているんですね。こんな小さな炭坑町に、鉄道なのか馬車なのかわかりませんが駅が二つあるとは思えません。かといって、ウェールズからアメリカやオーストラリアへ歩いて、そのまま直進していくことはないでしょう。でも「かたち」はそのようになっています。不思議ですね。一体何故そのような表現にしているのでしょうか。
 おそらくなのですが、フォードが映画内においてリアリティよりも優先しているものがあるのではないでしょうか。それは「感情の方向性」と呼ぶことができるものだと思います。例えば演奏家が同じ「ド」の音でも曲の全体を考えて「音色」を変化させるように、映画作家も同様に多様なニュアンスを表現するためにシーンごとに建物の位置関係を変化させて、人物の動作の方向性を変えているのです。音楽家が「音色」を大切にしているように、映画作家は「感情の方向性」をリアリティよりも大切にしているのかもしれませんね。

 『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』の場合では、「駆ける」ことがより重要であって、空港からの脱出方法や母親の家までどう行ったかというリアリティは二の次になっています。そのような撮り方をしています。でも同時に、空間をすっ飛ばして人を走らせたり家を動かしたり、そんなありえないことをしているのになぜ「自然」に見えてしまうのでしょうか。不思議ですね。映画監督によって映画に「魔法」がかけられているかのようです。それとも、人間の想像力の賜物なのでしょうか。それとも、「映画」というメディアがヘンなのでしょうか。興味は尽きません。

 ちなみに、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』のタイトルバックはとてもお洒落です。

 これはアメリカのグラフィック・デザイナーのソール・バスに影響を受けていると思われます。ソール・バスはオットー・プレミンジャーアルフレッド・ヒッチコックの作品でタイトルバックを担当しています。とても印象的なのでどこかでご覧になったことがあると思います。ソール・バスは日本企業のデザインも多く手がけており、有名なものに京王百貨店の包装紙に使われている鳩のデザインがあります。女性の方ならばコーセーの企業ロゴが、健康に気を使われる方ならば紀文の企業ロゴがピンとくるのではないかと思います。
 では、ソール・バスが手がけた映画のタイトルバックを紹介します。まずは、アルフレッド・ヒッチコックの『北北西に進路を取れ』です。最後にヒッチコックが出演していますね。

 次に、オットー・プレミンジャー『黄金の腕』です。

 最後に、ソール・バスの有名なタイトルバックを集めた動画です。プレミンジャーからスコセッシまで観ることができます。『悲しみよこんにちは』、『めまい』、『カジノ』等があります。

 

 

●『青い青い海』(ボリス・バルネット,1935)

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 これまでアメリカ映画とフランス映画を観てきましたが、それ以外の国にも映画はあります。旧ソ連の映画監督ボリス・バルネットの『青い青い海』を観てみましょう。日本ではボリス・バルネットという監督はあまり知られていませんが、トリュフォーゴダールやリヴェットらが熱狂した監督ですし、蓮實重彦氏はバルネットを「映画の『貴公子』」と断定し「世界で走行中の馬のとれる監督はフォードとバルネットしかいない」と言っているくらいですので、皆様には是非名前を覚えていただきたい監督です。経歴も非常にユニークでして、1902年に印刷工の息子としてモスクワに産まれるんです。初めは建築家だったのですが、ロシア革命の最中に看護兵として赤軍に参加、その後アマチュアボクサーとして活躍します。ボクサーとして有名になり、ボクシングの教師としてメイエルホリドの劇団と並ぶ実験劇団であるマストフォル(クオレッゲル工房)などに招かれるんですね。この劇団にのちに『戦艦ボチョムキン』を撮ることになるエイゼンシュテインも出入りしていたというから驚きですね。いかに才能が集結していたかがわかりますね。そこでボクシングを見に来たレフ・クレショフがバルネットを俳優としてスカウトして、彼の映画業界でのキャリアがスタートします。サッカーで例えるなら、メッシがネイマールをスカウトするようなものでしょうか。それはともかく、バルネットはプドフキン、ドヴジェンコらとともに映画の息吹に立ち会った第一世代だと思います。ヒョードル・オツェップ監督との共同作品で『ミスメンド』(1926)で監督デビュー。『国境の町』(1933)が認められてソヴィエトを代表する監督の一人となります。『ゆたかな夏』(1950)や『アリョンカ』(1962)といった傑作を撮っていますが、晩年は不遇だったようで1965年に残念ながら自殺してしまいます。

 バルネットは、“言葉と音”について沢山の実験をしていますが、彼の映画はむつかしい「前衛映画」ではなく、ゴダールが「バルネットの映画をむくれた顔で観るには非情な心を持っていなければならない」と言うように、優れたコメディを数多く撮った監督です。

  

 冒頭から観ていきました。青い海と鳥、太陽と特に珍しいものが写っている訳ではないですが、とても生々しいですね。ドキュメンタリー映画の始祖ロバート・フラハティ監督の『アラン』を思わせる波ですね。


 ちなみに、フラハティの他の作品としては、イヌイット族を撮った『極北の怪異(ナヌーク)』、F・W・ムルナウと共同監督した『タブウ』という素晴らしい映画があります。

Nanuk z Północy. Nanook Of The North - YouTube

Tabu (1931) F. W. Murnau - Completo e Legendado - A Story of the South Seas - YouTube

 さて、『青い青い海』における「駆ける」ですが、どのシーンについて言いたかったというと、女性(エレーナ・クジミナ)が唄っていたシーンです。今回の準備のために見直したら全然走ってなくてズッコケたんですが、躍動感があるシーンです。この唄の前後で登場人物の関係性が驚くほど変わっています。物語が進む、加速する。物語が「駆ける」シーンですね。最初に参加者の方々に「駆ける」についてご意見をいただきましたが、その中で「駆ける」で思い出すのは吹奏楽の演奏で、ピッチが速い時そのことを「走る」といって、その印象があるとお話ししていただきました。この映画もそういった多義の「駆ける」シーンですね。
 とはいえ、我ながらたいへん苦しい説明でした。私は女性が歩きながら歌を歌っているシーンが大好きなんですね。こんな素敵な女性とお付き合いしてみたいというあこがれや妄想が、ついつい「走っていた」という間違った記憶に結びついてしまっただけのような気もします。 

 

●『勇者の赤いバッヂ』(ジョン・ヒューストン,1951)

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 私の暗い欲望にお付き合い頂いているうちに時間が押してしまったため、今回は上映できなくなってしまったのですが、皆さんに是非観ていただきたい「駆ける」映画があります。それは『勇者の赤いバッヂ』です。この映画はアメリカ南北戦争の戦場を舞台とした映画で、1895年に書かれたスティーヴン・クレインの小説『赤い武功賞』が原作です。実戦経験の無い主人公の若者が、志願兵として戦争に参加し試練を乗り越えていきます。ジョン・ヒューストンは、『勇者の赤いバッヂ』が封切られる前に『アフリカの女王』の撮影のためアフリカへ発ったそうで、その隙に映画が再編集されてしまい上映時間が69分と短くなってしまった、オリジナル・ヴァージョンの方が良かったと語っています。しかし、スピルバーグが『宇宙戦争』を撮る際に参考にしているのではないかと勘ぐりたくなるような傑作です。「駆ける」ことが逃げることではなく、困難へと向かっていく表現になっています。


 煙の中を走っていく姿が印象的ですね。これだけ銃弾が降り注ぐ中で、旗を持っていて目立つはずの主人公は撃たれる様子がありませんね。鼓舞する主人公と淡々と歩を進める兵士達の対比が印象的ですね。
 この69分という上映時間の中で、象徴的な「駆ける」シーンは2回あります。動画が無かったのでお見せすることができないのですが、このラストシーンと、もう一つが中盤で主人公が敵前逃亡するシーンです。少し前から説明しますと、戦場に行くぞ行くぞと言いながら訓練ばかりやっており、本当に戦場に行くのかなとだんだんと気が緩んでくる。どうやら戦場に行くことになるらしいと噂が流れるが、あまりにも気配がないので嘘ではないかと隊員同士で喧嘩になる。そこへ伝令がやってきて戦場へ行くことになる。いよいよ戦場が間近になります。主人公は友達や周囲の人々に対して「お前は乱戦になったら逃走するのではないか」と揶揄っていますが、主人公の顔が憂鬱を帯びていくのが見て取れます。戦場に着くと主人公達は、丘からの南軍の突撃に備え、一列に並んで銃を構えて待ちます。すると、丘の向こうから南軍が突撃してきます。主人公は逃げ出したい気持ちを我慢して南軍を迎え撃ちます。前線にいる味方が散り散りに退散してきます。混乱の最中、丘の方を映す実景カットが挟まれますが、誰の視線かよくわからないカットです。主人公の視線とも言い難い、「意味が限りなく開かれた」印象的なカットです。なんとか南軍の突撃を退け、主人公がホッとして空を見上げると、大きな木から木漏れ日が綺麗に見えます。突撃の恐怖を乗り越え理想の自分になれたと安心します。が、陣形を立て直した南軍が二回目の突撃をしてきます。今度は主人公のすぐそばまで敵が来るんですね。怖くなった主人公は逃げ出してしまいます。移動撮影によって撮られた脱走シーンは圧巻です。その後どのようにして主人公は軍隊に戻り、先ほど紹介した「駆ける」に至ったのか。是非ご覧になって下さい。

 

●『彼らはフェリーに間に合った』(カール・テオドア・ドライヤー,1948)

 人は足だけで走るわけではありませんね。車や自転車でも走りますね。最後に、バイクで駆けるシーンを観てましょう。街でバイクに乗る方を見掛けるとかっこいいなと思うのですが、私は免許を持っていないのでいつも羨ましく思います。
 この映画は、ドライヤーが1948年に撮った交通安全のPR映画です。ひたすらバイクで駆ける映画でかっこいい、とても好きな短編です。


 バイクの音がかっこいいですね。真空管アンプで聴くと余計かっこいいですね。しかし、事故を起こすところから雰囲気ががらりと変わりましたね。途端に恐怖映画のようになってしまいますね。サイレント映画のように鐘が鳴らされ、映画の調子が変わります。フェリーが出港し、フェリーの影と波紋からオーヴァーラップされ、死神のような船頭が二つの棺を運んでいきます。あれは二人の棺なのでしょうか。事故が起きた日と同一の日なのでしょうか。ということは、船頭は二人が亡くなるのを予期していたのでしょうか。影や雲も不気味ですね。高く高く飛ぶカモメも印象的です。バカンスのために訪れたこの島自体がこの世のものではないようにも見えてきます。事故が起きるまではバイクのPR映画のように気持ち良さそうに走っていたのに、あっという間に映画の雰囲気が変わり交通安全のPR映画になってしまいましたね。
 このような不気味な印象を受ける理由の一つに、ドライヤーが撮った『吸血鬼』という映画もそうですが、視点が変化することがあるのかもしれません。最初の方の前輪を俯瞰で撮るカットや、車を追い越すため迂回しようとするのを捉えたカットは、誰の目線かよくわかりませんね。Y字路で道を間違えたとき、バイクが戻ってきたのに合わせてカメラも途中から動き出していましたね。あのカットも誰の視線かよくわからないですよね。これらの場合において、映像が指し示すであろう意味をはっきりと断定することはできません。「未確定」なんですね。この「未確定性」というのは、『彼らはフェリーに間に合った』だけでなく、あらゆる映画表現にあると言えると思います。むしろ映像表現というものはもともと未確定なものだと言えるのかも知れません。ただ映像表現が未確定であるが故に、「意味が限りなく開かれている」(先ほども使用したこの言葉は小津安二郎監督作品について吉田喜重監督が『小津安二郎の反映画』という著作の中で用いた言葉です)と言えるのではないでしょうか。だからこそ、いろいろな意味を考えることができるので、この『彼らはフェリーに間に合った』は恐ろしさが際立っているのではないでしょうか。

 こういった、絶えず観客の想像力を刺激し喚起させる「画面の喚起力」の強さからなのか、ドライヤーを史上最高の映画監督と評している人もいます。例えば、ジャン=マリー・ストローブは、ドライヤーを「史上最高」とは謳っていませんが、「最終的にドライヤーがカラー作品を撮ることができなかったこと(彼は20年以上もカラー作品を撮ろうと考えていたのだ)やキリストについての作品を撮れなかったという事実(国家や反ユダヤ主義の起源に対する崇高な反抗)は、我々がカエルの屁ほども価値がない社会に生きているのだということを思い知らせる。」と言っています。カエルの屁ほどもという表現が可笑しいですが、それくらいドライヤーの作品が素晴らしいということですね。

 他の、バイクで『駆ける』のが印象的な映画に、レオス・カラックスの『ポーラX』があります。フェリーも出てくるこの映画では、涙を流しながらバイクで爆走するカトリーヌ・ドヌーヴが印象的です。彼女が事故を起こしてしまうかどうか是非ご覧になって確かめてください。

 最後になりますが、『青い青い海』でご紹介したボリス・バルネットが監督した『リャナ』にもバイクシーンがあります。女の子3人が三輪バイクに乗って走る、楽しいシーンがありますので、ご覧になってください。なお、この映画のラストシーンにも素晴らしい『駆ける』があります。

以上で、シネマ・カフェ第6回「駆ける」を終えたいと思います。これから映画をご覧になるときには、これまで以上に「駆ける」ことのニュアンスに触れ、楽しんで下さればと思います。

本日はありがとうございました。
(シネマ・カフェの原稿に加筆・修正を行った)

 

 

●おまけ

・『キートンのセブンチャンス』が好評だったので、オススメをご紹介します。

・フランスのサイレント映画の喜劇王マックス・ランデーが出演している作品。マック・セネットの名前の由来となったという説があります。


・『カジノ・ロワイヤル』のタイトルバック。これもソール・バスの影響を受けていると思います。