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映画☆おにいさんのシネマ・カフェ vol.13 『帽子』

本日はお集まりいただきありがとうございます。

本日のテーマは「帽子」です。まず、帽子のイメージを皆さんに伺ったところ「出かける時に被る」、しかし、「出先で忘れてしまう」といった意見が多くでました。中には、「母がシャンソン歌手のような派手な格好をいつもしていたので、遠くから帽子しか見えてないけれど母親だと認識できた」といったエピソードも伺えました。帽子は、直射日光などから頭を守るといった役割もありますが、それより「ファッション」として頭に被る装身具としてのイメージをお持ちの方が多かったです。

 

●『THOSE AWFUL HATS(迷惑帽子)』、D・W・グリフィス、アメリカ、1909年
 『THE NEW YORK HAT(ニューヨークの帽子)』、D/W・グリフィス、アメリカ、1912年

 最初に二本続けてご覧いただきます。どちらも帽子が「都市の流行の象徴」として描かれています。監督はクローズアップや並行モンタージュ等の映画技法を確立したことから”映画の父”と呼ばれるD・W・グリフィス監督です。1909年に撮られた『THOSE AWFUL HATS』は、シルクハットの男性と派手な大きい帽子を被った婦人らが映画館に入って来ますが、彼女らが帽子を取らないために強制的に排除されてしまうというとても可笑しい映画です。もうひとつの1912年に撮られた『THE NEW YORK HAT』は、ハーディング夫人が亡くなったとき、牧師へ「夫はケチだから娘が欲しいものがあるようだった買ってあげてほしい」といった内容の手紙とお金を送ります。地味な帽子しか持っていない娘は陳列窓に飾られたニューヨークの最新の帽子を欲しがります。それを見た牧師は買ってあげるのですが、それがゴシップとなって村中に広がり大騒ぎとなってしまう一巻物の映画です。主演は”アメリカの恋人”と謳われたメアリー・ピックフォードです。

 

『THOSE AWFUL HATS』は豪華絢爛な帽子を取らない女性をクレーンで強制的に排除する様子が面白いですね。映画館のスクリーンに映画がしっかりと映っており画面の奥行きが無いためのっぺりとした印象を受けますが、女性の帽子が登場し出すと画面に奥行きと運動がもたらされます。最後に、UFOキャッチャーのようにクレーンが上から降りてくることで、それまで弛緩していた空間が熱狂に包まれ映画は終わります。
 『THE NEW YORK HAT』は、蓮實重彦氏によると、帽子を通して初めて「都市と地方」を明確に主題にした作品とのことです。ご覧頂いたとおり、田舎娘がショーウインドウに飾られた帽子がお洒落な都会のイメージと結びついています。

 

●『その夜の妻』、小津安二郎、日本、1930

 メアリー・ピックフォードが都会の帽子に憧れたように、アメリカ映画に憧れた映画監督が日本にもたくさんいました。例えば、小津安二郎監督です。小津監督というと「カメラは固定」「ローアングル」「静か」「日本的」「様式美」といったワードで語られることもありますが、良い意味でそのようなイメージが覆す映画を撮っています。まるでギャング映画であって、それはヌーヴェル・ヴァーグよりもおよそ30年早い、アメリカ映画の真似、模倣となっております。
 主演の岡田時彦さんは、「並ぶ」で紹介した小津安二郎監督の『東京の合唱』でも主演していました。「傘」でご紹介した『秋津温泉』に、岡田時彦さんのご息女である岡田茉莉子さんが主演していましたが、抜粋でご覧いただいたシーンにも印象的な帽子がありました。
 『その夜の妻』は、病気である娘の治療費を捻出するため、強盗をしてしまうサラリーマンの話です。強盗を働いたあと、娘の元へ帰ろうとタクシーに乗ります。しかし、そのタクシーの運転手が刑事だったため、夫婦の住む家が見つかってしまう場面からご覧いただきます。

 八雲恵美子がベッドから銃を取り出し、刑事の背中に突きつけます。一度離してから再度突きつけ銃を奪い、2丁拳銃を構える八雲さんには鳥肌が立ちますね。刑事に銃を奪われたところまでご覧いただきました。八雲さんが「しまった!」とエプロンを握りしめたように、私たちも手に汗握る展開がこの後も続きますので、是非お時間あるときにご覧いただきたく思います。
 帽子についてですが、刑事は岡田時彦の帽子によって部屋にいることを突き止め、それを和服姿の八雲恵美子の頭に載せます。和服に白いエプロン姿の八雲恵美子がソフト帽を被せられた姿は、蓮實重彦氏が指摘しているように、『勝手にしやがれ』でジーン・セバーグがベルモンドのソフト帽を被った際に感じる魅力的なアンバランスさに似ています。ゴダールは『その夜の妻』を観ていないと思われますが、ゴダールが小津を真似したと言いたくなりますね。
 1930年の日本で、和服姿の女性が洋装の装身具であるソフト帽を被せられる。文化的には決してありえない組み合わせだからこそ、その不均衡さが刑事に追いつめられる八雲恵美子の感情とが相俟って、激しく動揺させられてしまいます。
 帽子という文化的な象徴を帯びたものが異なる文脈に置かれたときに起こる不均衡さをご覧いただきました。

 『その夜の妻』と同じく、小津監督は『非常線の女』というフィルム・ノワールを撮っています。こちらにも印象的な帽子が出てきますので、是非ご覧ください。

 

●『いぬ』、メルヴィル、フランス、1962

 先ほど話に挙がった『勝手にしやがれ』に出演しているジャン=ピエール・メルヴィル監督もアメリカ映画に強い影響を受けています。
 監督の本名は、メルヴィルではなく、グランバックといいます。当時のフランスは激しい反ユダヤ主義が政治的背景にあり、ユダヤ人である監督は名前を隠す必要があったそうです。そこで、敬愛していた、『白鯨』等で有名な作家ハーマン・メルヴィルから名前を頂き、メルヴィルと名乗ったそうです。
 メルヴィル監督は自主製作で多くの映画を撮りました。親族の遺産を用いるのでなく、加えて助監督の経験もなく、自主製作で商業的に成功した最初の監督ではないでしょうか。なおその後インディペンデントで映画を制作を行う監督は、例えば、シャブロル、トリュフォーゴダールキューブリック、カサヴェテス、スコセッシ等がいます。
 ご覧いただく場面は、ギャングであるセルジュ・レジアニはジル殺しとヌイイでの強盗を起こしますがその後、仕事仲間で友人のジャン=ポール・ベルモンドの密告によって捕まってしまいます。レジアニはなぜか裁判にかけられることなく釈放されるのですが、それは裏切ったと思われたベルモンドが裏で彼を助けるために尽力したおかげでした。その種明かしをベルモンドがレジアニへ説明する場面からご覧いただきましょう。

 ジャン=ポール・ベルモンドの帽子がころころと転がって終わります。登場する男たちはアウトサイダーとしてスーツにハットを恰好良く被っています。帽子は斜めに被られたり顔をすっぽりと覆ったりと、登場人物の表情に彩りを加えてきました。そのような帽子を被った男たちは、「この仕事は最後が悲惨だ」というベルモンドの言葉どおり一人の例外も許さず、死ぬなり捕まってしまいます。
 引退後気ままに暮らすため、ベルモンドが揃えていたであろう豪華な調度品が飾られた部屋を、帽子が転がって終わる。アウトサイダーを象徴してきた帽子が、頭から離れ、転がることを終えたとき映画も終わりを告げるのは、当然のようにも、終わりとしてこれ以外無いようにも思えます。

 

●『夕陽のガンマン』、セルジオ・レオーネ、イタリア、1965

 日本やフランスにアメリカ映画の信奉者がいたように、イタリアにもアメリカ映画の信奉者がいます。中でもレオーネ監督はイタリアで西部劇を撮ってしまいます。『夕陽のガンマン』の前作である『荒野の用心棒』はマカロニ・ウエスタンの大ブームを引き起こし、ヨーロッパで大スターとなったクリント・イーストウッドのギャラは、1.5万ドルから5万ドルまで3倍以上に跳ね上がったそうです。
 監督のセルジオ・レオーネは、映画監督の父を持ち、ラオール・ウォルシュウィリアム・ワイラー等アメリカ人監督のイタリアでの映画製作に関わっていました。クレジットが付かない映画を何本か監督した後、1961年に処女作を撮り上げると、1964年に『荒野の用心棒』、1964年に『夕陽のガンマン』、1966年に『続・夕陽のガンマン』を撮り上げます。
 ご覧いただく場面は、賞金稼ぎのイーストウッド演じるモンコとリー・ヴァン・クリーフ演じるモーティマー大佐はそれぞれ殺人鬼のエル・インディオを追いかけ街にやってきます。インディオの動向を探っている最中にお互いの存在に気付く場面からご覧いただきます。

 ジョン・フォードの映画に出てきそうな情報通の老人と中国人のウェイターが面白かったですね。そこから二人のやり取りが始まります。
 リー・ヴァン・クリーフ帽子を拾おうとすると、イーストウッドが帽子を撃って吹き飛ばす。帽子に近寄り拾おうとすると、また吹き飛ばす。次第にお互いの距離がどんどん離れていきます。これまでの衣装としての帽子とは異なり、帽子が力の誇示に使われています。帽子の本来の使い方とはまったく関係がありません。本当に帽子があのように吹き飛ぶのかわかりませんが、銃で撃った帽子が舞う様子はなぜか説得力があります。これがスカーフやブーツでは成立しない。帽子だから面白いシーンではないでしょうか。

 

●『天才スピヴェット』、ジャン=ピエール・ジュネ、フランス=カナダ、2013

 グリフィス監督が扱った、「都市と地方」を象徴する帽子が出てくる最近の映画をご覧いただいて終わりたいと思います。
 ジャン=ピエール・ジュネ監督の『天才スピヴェット』です。フランスと日本でヒットした『アメリ』で有名なこの監督が初めて3Dで撮影した作品です。
 予告編にあるように、モンタナの牧場に住む10歳の天才科学者スピヴェットが、ワシントンで行われる授賞式に出席するために家出をするお話です。無事に授賞式に出席しスピーチを終えたスピヴェットは、賞を与えたスミソニアン学術教会にコマーシャルに利用されメディアに頻繁に露出します。TV出演する場面からご覧いただきます。

 本日ご覧いただいたグリフィス監督や小津監督と比べてどちらが映画として3Dかわかり兼ねますが、観客を楽しませようとする想いが伝わる映画です。
 両親と和解し、父親におんぶされたスピヴェットは父の帽子を自分の頭に乗せます。現代において未だにカウボーイの恰好をしている父から帽子を取り、被ることで、弟の死を乗り越えつつ父の想いを継承するというシーンでした。

 今回ご覧いただいた映画は、グリフィス監督の作品以外はすべてアメリカ以外の国で撮られた作品です。日本やフランス、イタリア等で撮られています。ある場所で撮られているけれども、映画には「無国籍性」と呼べるようなものが宿っています。もちろん実際には「東京」なり「パリ」なりで撮られてたことは分かりますが、厳密に特定することはでき兼ねます。ある種、誰でも、どの場所でも成立するように思えます。映画の中では、時代も空間も抽象化されてしまっているということができるのかもしれません。しかし、「抽象化されている」とはどういうことなのでしょうか。映画であるからには、画面には具体的な「なにか」が映っているはずです。当たり前ですが、抽象化した概念はカメラで撮ることができないからです。抽象化された顔は撮れません。つねに具体的な俳優の顔しか撮ることができません。では、今回ご覧いただいた映画が私たちに与える「抽象化された」という印象はどこからくるのでしょうか?
 それは、監督たちが影響を受けたと述べる、グリフィスを始めとするアメリカ映画を根源とした「映画術」にあるように思えます。現在においても世界の多くの国でアメリカ映画は観られていますが、その根底にあることは「動き」や「かたち」でみせることではないでしょうか。そのイメージに影響を受けた各国の映画監督は、「椅子に座る」「物を拾う」「走る」といったありふれた動作を抽出し、自分なりに映画の中で表現している。西部劇なりフィルム・ノワールといった「ジャンル」の枠組みがありながら、またはそれがあるゆえに、「無国籍性」を宿した映画になってしまうのは、そういった「動き」でみせることをアメリカ映画から学んだからだと思われます。
 そして、「帽子」といった風俗性の指標となりうるようなものだからこそ、逆にそれを消すこともありえ、こうした「無国籍性」と強く結びついていると考えられるのではないでしょうか。

 以上で、映画☆おにいさんのシネマ・カフェvol.13「帽子」を終了したいと思います。これからも「無国籍性」に留まらない「帽子」の様々なニュアンスを感じながら、映画を楽しんでご覧頂ければ幸いです。本日はご来場いただきありがとうございました。

(シネマ・カフェの原稿に加筆・修正を行った)